1.1 バドミントンの歴史(抄)
    1934年(昭和 9年) 世界バドミントン連盟(IBF)がイングランドに設立 
    1946年(昭和21年)11月2日 日本バドミントン協会設立
    1949年(昭和24年) 4月5日 バドミントン規則(初版本A4)発行
    1953年(昭和28年) 5月4日 大会運営規程発行
    1963年(昭和38年)6月23日 公認審判員資格審査委員会規定
                           (現公認審判員規程)発行
 1.2 ナルトスポーツ社発行の規則書の存在 (PDF文書はすべて印刷可能です)
    驚いたことに、1934年(昭和 9年) 3月10日発行の日本語の規則書
   存在していたので ある。
    この古い規則書を現筑波大学名誉教授阿部一佳氏より入手された
   今井 先(はじめ)先生 が平成4年1月23日に復刻されました。その
   「はしがき」には次のように書かれていました。

   「ナルトスポーツ社は、わが国バドミントン業界の先駆者。昭和一桁には
   カンガルー印のラケットとCS印のシャトルを製造していたはずで、われわれ
   バドミントンの愛好者達にはなつかしい名前なのです。この規則書は、同社
   がバドミントン用品の販売を始めるに当り、サービスとして添付、プレーの
   普及を計られたものではないでしょうか。
    バドミントンの活き字引とも申し上げるべき故村上忠治氏(2014年11月20日
   逝去 享年97)のお話によると、同社々長・岡 藤吉氏の実弟善七氏は
   当時ジャワ(現在のインドネシア)に在住、現地の人達が楽しんでいる
   バドミントンに興味を覚え、ラケットとシャトルを母国の藤吉氏宛に送った。
   これを手にした藤吉氏が前述のカンガルー印のラケットとCS印を造り出された
   との事です。
    また、藤吉氏は金属フレームのラケットを完成した創意工夫の人でありました。
    なお、善七氏のご子息、淳一、道明のお二人はともに卓越した名プレーヤーで、
   淳一氏は全日本選手権(今の総合大会)の第一回より四年連続男子単に
   優勝、また第四回大会では兄弟でペアを組み、ダブルスの選手権をも取られ
   ております。なんともなつかしい思い出です。  今井 先」

    
     国際バドミントン連盟が設立された年に、日本語版のルールブックが出版
    されていたことは驚きです。
     
     このたび、この規則書を再び復刻いたしました。復復刻版になります。
     古い規則は、現行の規則の邪魔になるかも知れませんが、昔はそうだった
    かのかということを理解するのも無駄ではないでしょう。
     よく、バドミントンを2本のラケットでプレーしてもよいのだろうかと話題になり
    ますが、このナルト規則書の第十七條に使用ラケットは一本とするとはっきり
    書いてあります。
     
 
A 1  競技規則&大会運営規程の初版本などについて